長谷部まつり (石川県穴水町) (29,7,22~24 )
長谷部信連没後800年記念・・第55回長谷部まつりへ。(日野町視察団9名)
石川県穴水町(電車乗り継ぐこと4回、8時間)能登半島ののどの部分?。遠かったよー。
なぜ、視察? 詳しくは長くなるので・・・。取り急ぎ、その時の様子を。
穴水駅に降り立つと、長谷部まつり、遠藤関ののぼり旗が。(穴水は遠藤関の出身地)
長谷部まつりの前夜祭会場では、書道パフォーマンス、ポップダンスなどにぎやかに。
23日、まつり当日、長谷部神社へ。大雨のため残念ながら、パレードは中止。
長谷部神社は大きな神社。境内にある長谷部信連公関連の資料館。すごいの一言。
この看板通り、長谷部信連という人はすごい。穴水へ来る前は、広島の宮島、そして
その前は、鳥取県日野町金持、下榎に。なんと7年間も。知れば知るほどすごい。
日野町では、今現在、現存する厳島神社、長楽寺、延暦寺、根雨神社、祇園橋、
塔の峰など、長谷部信連公が手がけたと言われている。日野町下榎には、
長谷部信連公の遺跡もある。その業績は、今も日野町に生き続けている。
800数年前から、その子孫が脈々とつなぎ、今日の穴水町があるのは、歴史上の事実。
だから、長谷部神社にお参りし、宮司様、奥様にお目にかかる感激はこの上もない。
長谷部神社の宮司さまは、東四柳 史明(ひがしよつやなぎ ふみあき)さまです。
金沢学院大学名誉教授で、穴水町史などの編纂にも大きく携わっておられます。
祭壇前では、神戸市立兵庫商業高校生による奉納舞い。見入ってしまいました。
いよいよ、長谷部信連公没後800年法要。この時、この場所に、身を置く感激は大。
輪島にある長谷部信連公のお墓参りに。穴水町のマイクロでお世話になりました。
穴水町役場の菅谷様、中島様、親切に対応していただきありがとうございました。、
長い年月を経てひっそり鎮座するお墓。地域の人が守って来られたとのことです。
土まんじゅう型の墳墓は2基。手入れしなかったら、草や木に埋もれてしまいます。
よくぞここに、このまま、この形で残してこられたと、感心する事しかり。
夜は太鼓の競演を鑑賞。全国優勝した子どもチーム「寅之助」は、特に素晴らしかった。
石川穴水町長様は挨拶で「鳥取県日野町から景山町長さん方が来て下さっている」と
紹介して下さいました。信連公を通じての交流が、時を超えて町民に知れた瞬間?。
今回の視察では、長谷部神社の宮司さま夫妻、そして息子さま。石川穴水町長さま。
教育長様、坂谷観光物産館協会長様、東京の長さまご夫妻と交流が出来ました。
穴水町から頂きました歓待には、本当に感謝しました。ありがとうございました。
どなたも「一度、鳥取県日野町へ行ってみたい」とのこと。実現するといいなあー。
30年前に、日野町から130人も、ブルートレン5両で、穴水へ行かれたとのこと。
驚くようなパワー。当時の役員さん、町民の皆さん。夢よ、もう一度ですね。
列車の窓から見た能登半島。湾内を眺めながら一路、穴水町へ行きました。
昔ここを徒歩? 馬で? 海風を受けながら1歩1歩前へすすまれたのだろう。
夕日が美しいに違いない。いろいろな思いが錯綜しながらの心に残る研修でした。
お世話いただいた日野町役場の皆様 、視察団の皆様、ありがとうございました。